20代前半で胃潰瘍・慢性胃炎・噴門部腫瘍の3連コンボを食らった【闘病記】
胃炎上
2月上旬のある日、いつものようにノートパソコンの電源を切って、日が昇った頃に眠りにつこうとしていた。
横になるとそれは突然襲ってきた。
今までに感じたことがないくらい胃が熱い。
布団を全部剥いでも熱い。とにかく熱い。
この日はとにかく疲れるまでYouTubeを見て無理矢理寝た。
次の日起きたときには胃の熱さはなくなっていたが、何かを食べようとする度に吐き気を催した。
以前抑うつ状態になって心療内科に通っていたときにも同じ様な症状があった。
最近はストレスこそあるもののそこまで精神的に参っているわけでもないのに、また抑うつになってしまったのかと一抹の不安を覚えた。
この二つの症状が3日続いた。
大学の講義で市販薬を1週間(2週間だったかも)飲んでも症状が治まらなかったら受診勧奨すると習っていたため、病院に行く前にとりあえずドラッグストアでガスター10を買った。
ガスター10の中身はファモチジンであり、ヒスタミンH1受容体に拮抗することで胃酸分泌を抑制する。
胃痛に対する1st choiceであると思う。
買った直後から飲み始めた。とにかくこれで治まってくれと願いながら。
そんな願望は叶うはずもなく、1週間経ってもなお痛い。
むしろ酷くなっているくらいだ。
食事はほとんど食べられなくなってきて、夜もほとんど眠れなくて気が付けば朝になっていることが増えた。
ここで初めて病院へ行くことを決心した。
家の近くに父がかかりつけにしている消化器内科があるためそこを受診することにした。
病院へ
初診日は2月14日だった。
世の中ではバレンタイデーと言われている日だが、そんな屁よりどうでも良いことなんか気にしている暇はなかった。
医師にとにかく今現在ある症状を伝えたところ薬物治療を行って様子を見るか、胃カメラをして胃の状態を確認するかどちらかの選択肢が提示された。
自分の身体がどういう状態にあるのかという不安から迷わず後者を選んだ。
胃内視鏡と病理検査、腹部エコーの全てで15,000円くらいかかると言われた。医療費控除万歳。
そんなこんなで検査の日は土日を挟んだ2月17日に決まり、この日はマーズレンS配合顆粒2g/分3、ツムラ半夏瀉心湯7.5g/分3が処方された。
処方解析するとそこまで酷くないものと思われてそうだなと感じた。
結構しんどいんだけどなと思いつつ薬局に向かった。
これらの薬は胃痛や胃が燃える感じにはほとんど効かなかったが、食事のときの吐き気は少し改善された。
やはり吐き気は精神的な部分が大きかったのだなと改めて思う。
人生初内視鏡
これが初診の日に渡された検査の紙。
①前日の夕食は消化の良い物を午後8時までに食べ終わること。
②当日の朝食は抜くこと。水は飲んでも良い。
③朝検査を受けるまでなるべくトイレに行かずに尿を溜めること。
上記3点が主に説明されている。
この紙を看護師から渡され、内視鏡を入れるときに鎮静剤を希望するかどうかを問われた。
迷わず希望しないを選んだ。
理由は病院実習をしているときに、手術前に初回面談をさせていただいた患者さんが、手術時に麻酔薬でアナフィラキシーショックを起こしてしまい、術後に話をすることができなかった経験があったからだ。
考えすぎる性格も良くないかもしれないが、胃内視鏡ごときで生死をさまよいたくないという思いが内視鏡に対する不安より勝ってしまった。
しかし、このときの選択が後に悲劇を生むことになる。
そして検査の日2月17日を迎えた。
ちょうど22歳と11ヶ月を迎えた日でもある。
人生で5本の指に入るレベルで緊張していた。
始めに腹部エコー検査を行った。これに関してはほとんど緊張しなかった。
お腹に潤滑ゼリーを塗りたくられたが、塗ってくれたのはおっさん医師でした。残念。
イメージとしてはソープラ○ドみたいにローションを塗り塗りしてくれるのかと思いきや、超音波出す装置から少しずつゼリーが出されている感じがした。
これがとにかくくすぐったかった。
脇の下の肋骨の境目にぐりぐりと機器を押し込まれたが、これが人生で一番くすぐったかった。
これをとにかく我慢するので精一杯という感じで、検査はあっという間に終わった。
それから30分待ってから検査室に再び呼ばれた。
ついに胃内視鏡検査が始まるのだと、全身の毛穴という毛穴から脂汗が滲み出てきた。
まず始めにキシロカインゼリーを口の中に流し込まれて、これを喉の奥に流すように上を向いて5分間キープして、その後飲み込むようにという指示がされた。
キシロカインゼリーはゼリーというよりはローションのような質感で、味は何とも言えない味だがとにかく苦い。
30秒くらいしてからだんだんと舌がピリピリしてきた。
1分位して喉の奥の狭窄感が増して我慢が出来なくなって飲み込もうと思ったが、喉が言うことを聞かずに吐き出した。
気が付けば舌の感覚が無くなっていた。
その後は仕上げにキシロカインスプレー(ゼリーより濃度が高いはず)を喉奥に2回噴射して、ブスコパン(胃の動きを止めて見やすくする薬)を左上腕部に筋肉注射した。
キシロカインが効きまくって口の中が何が何だかわからないし、喉が腫れているような感覚になってきて息が出来なくなるんじゃないかという気持ちになる。
薬剤が立て続けに投与されてもう頭の中はパニック状態。
そこからさらに口に猿ぐつわの穴あきバージョンみたいのを咥えさせられ、よだれが垂れ流しになるため銀のトレーを口元に置いた状態で横になった。
そのとき僕が相当緊張した顔をしていたのか、50歳代くらいの母親のような看護師の方がずーっと背中を撫でてくれたり、腕をさすったりしてくれていた。
僕と同じくらいの子供がいるのかもしれないな、と思うとその人の優しさと愛情のようなものを感じ、少し涙が出そうになった。
医師が来るまでの間の10分間、ずーっとその看護師の方はそばにいてくれて『大丈夫だよ』と声を掛けながら、背中を撫で続けてくれていた。
手先を筆先のように柔らかくして、『の』という字を描くように撫でていた。
この『の』という字を描くように撫でるのは、母親から僕が赤ちゃんの時に泣きやまない時のあやし方だと聞いたことがあった。
途中からはもう一人の30歳くらいの看護師の方も撫でてくれるようになり、看護師二人がかりで22歳の成人男性をあやしているのである。
こんなに大きな優しさを感じたのが久しぶりだったからか、心の中では大号泣していた。
当然男としての気持ちもあるからか、女性二人にあやしてもらっている自分を客観視すると恥ずかしい気持ちもあった。
ただ極度に緊張している状態であることに加え、自分は患者としてここにいるということは把握していたため、どんな醜態を晒しても周りにいる人がプロであり、そんな醜態は気にしないということが分かっていた。
とにかく今はこの優しさに甘えよう、と思った途端に呼吸が楽になって周囲を冷静に見られるようになった。
今まで自分が緊張していたことパニックになっていたことを思い知らされた。
この人たちがそばにいるなら僕はこの先どうなっても信頼できるなという気持ちになれた。
そしていよいよ医師が来た。
『内視鏡入れていきますねー』
そこで初めて見た内視鏡の太さは思っていたよりも太く、イメージしていたよりも遥かに太かったからか、僕には太巻きレベルに太く見えた。
実際の太さは恐らく1.4cmくらいだったのだろうか(調べたら1.0cmだった)
いやいやいや、これはいくら何でも無理だろう。
と思う自分がいたが、あれだけ麻酔薬を使ったし大丈夫だと、という二人の自分がいた。
結果は入れて3cmでギブ。
とにかく胃にたどり着くまでがとんでもない地獄だった。
今こうして思い出しながら書いてるときも、あの感覚を鮮明に思い出すことができる。
なんとも言えない異物感、そしてそれが少しずつ食道を下ってくる感じも内臓を通じて伝わってくる気持ち悪さ。
何度えずいたか分からないが、そのたびに『大丈夫、大丈夫』とそばにいてくれる看護師の声が聞こえてくる。
医師からも『肩の力抜いたらもっと楽になるよー』と優しい声を掛けてもらえた。
そして胃にたどり着いた。
そう、ここからが本当の地獄であった。
胃というのは湯葉みたいにつづら折りのような状態になっていて、それを広げないと胃の内壁をちゃんと見ることはできない。
じゃあそのつづら折りをどうやって広げるのかという話になってくる。
検査室にコンプレッサーの音が響きわたる。
そう、内視鏡を通じて空気を入れて胃を膨らますという原始的な方法である。
これがもう感じたことのない違和感の連続。
食道の辺りからスーッと空気が入ってくる音は聞こえる。
そして胃の中が空気で満たされ涼しくなってくる感覚。
しかし胃は空気が入ってくると反射的にゲップをするようにシステムが組まれている。
そしてゲップをしようとするとき胃や食道は蠕動運動をする。
そのときに喉の内視鏡をキュッと締めてしまう。
その瞬間に猛烈な吐き気を催してしまう。
ボエーっというえずきと共に胃の中に入れた空気は全て吐き出されてしまう。
こうなるとまた一から空気を入れ直さないといけない。
そしてこの空気を入れるスピードが遅い。
もちろん圧力を高くすれば早く膨らませることが出来るかもしれないが、体の内部に圧縮空気を送るという内臓破裂しかねない行為をしている訳だから、細心の注意を払わなければならないのは当然だ。
最終的に空気を入れることに成功したが、空気注入だけで2分くらいはかかっている。
たかが2分じゃないかと思うかもしれないが、喉から胃まで管が繋がっている状態で2分というのは、20分レベルまで時が長く感じる。
そして食道からから十二指腸まで全て見終わったあとに、次は病理生検を摘出しなければならない。
医師が手元から銀色のワイヤーを内視鏡に通していくとき、ワイヤーが通っていくときにシュイーシュイーと音を立てるが、それさえも食道を通じて感覚が伝わってくる。
このときの吐き気が今日でピークだった。
内臓はあまり痛みを感じないと聞いたことがあるが、流石に病理生検ともなると胃の中からダイレクトで組織を採るわけだから、感じたことのないような鋭い痛みが内部から襲ってきた。
内部から擦り傷のような鋭い痛みを感じるのは脳がよくわからない認識をしてしまい混乱した。
2箇所の病理生検を採取して内視鏡検査は終了した。
看護師に泣きつきたいくらい頑張った。
最後に看護師からは『もしまたやるときがあれば鎮静剤が必要かもね』と言われた。
強がってごめんなさい。
内視鏡結果
診察室に呼ばれると9枚の写真がモニターに写されていた。
まずは胃潰瘍と逆流性食道炎があると。
そして胃潰瘍だった痕跡があると。
この辺りは予想していた部分ではある。
胃潰瘍と言ってもポッカリ穴が開いている感じではなく、見た感じだと湯葉が2,3枚くらい剥けちゃってる様に見えた。
さらに胃の噴門部が人の2,3倍はガバガバだということも伝えられた。
これには少し不安を感じた。
普通の人が寝転がっても胃酸は逆流してこないのに、僕はただ寝転がるだけでもダラダラと胃酸が逆流してきてしまうレベルだと。
食べた後3時間は横にならない方が良いと言われた。
最後に食道と胃のつなぎ目の食道側にデキ物があると。
医師は『デキ物』と称したが、医学的知識が少しある僕にははっきりとわかる。
『デキ物』は『腫瘍』という言葉を分かりやすく怖がらせないように伝えるための方便だということが。
しかもかなり大きい。恐らく4mm程度。
そこから僕は身体の震えが止まらず冷や汗をかき始めた。
ダウン寸前の僕に対して医師からKOを食らったこの言葉。
『若いから食道ガンってことはほとんど無いと思うんだけど、念のために組織取って検査に出させてもらうね。』
医師としては患者の不安を取り除くための最善の言葉選びをしていることに間違いはない。
しかし僕は半年前まで大学病院という非日常的な空間で実習をしていた。
そこでは有り得ないとされているような症例の患者さんを何度も目にした。
それこそ20代で悪性腫瘍が見つかっている人もいた。
子供が2歳とかなのに乳ガンが見つかってずっと泣いている母親も目にした。
僕にとって医学的な『ほとんど無い』は身近で起こりえるというレベルまでリアリティが増してしまっていた。
この言葉を聞いてから会計をするまでの間の記憶はほとんど無い。
結果は三連休を跨いで8日後の2月25日に出ると告げられた。
僕の人生の生死が決まる日だと思った。
胃ガンの生存率は高いと言われているが、画像を見た限りもし悪性だったらかなり進行しているのが分かった。
処方された薬は、タケキャブ20mg/分1/14日とアルロイドG内容液5% 100mL/分4/2日だった。
薬局でも生きてるのか死んでるのか意識朦朧としていたが、薬剤師が責務を全く果たさない系の人だったから、冷静に質問攻めにしていたのは覚えている。
『すいません、この液体の薬って飲み始めたらどうやって保管しておけば良いですか?』
アルロイドG内容液が冷蔵保存であることを伝えないで会計しようとするのは、もはや薬剤師と呼べるのか怪しいレベル。
そこから嫌な予感はしていたが、やっぱり計量カップの25mL線は見事に斜めっていて走り書きだった。
カップを斜めに持ってその線に合わせれば良いのだろうか。
服薬指導する薬剤師がダメだと調剤する薬剤師もダメだし、組織としてそうなんだろうなと感じざるを得ない。
薬局を出てからも人生のどん底みたいなテンションでどうにもならなかった。
家から3分くらいの薬局だったけど、このまま自転車に乗ったら危ないと思い、とりあえず母親に電話した。
母親には『若いし何てことないポリープみたいなやつだよ』って言われひとまず安心する。
こればかりは仕方がない。22歳の成人男性とは言え、医師の言葉よりも母親の言葉で安らぎを得たい。
何とか落ち着いて自転車で帰ることができた。
病理検査結果
タケキャブ20mgの効き目は抜群だったが、やはりこの8日間は生きた心地がしなかった。
この検査結果を聞くまでは自分が生きているのか死んでいるのか分からないような状態だった。
毎日不安を感じながら生活していたが、それを母親から聞いた70歳の祖母がお参りに行ってくれたのを聞いて、それだけを心の支えにして結果の日まで過ごした。
祖母は東京に住んでいていつも僕のことを気にかけてくれていて凄く優しい。
こうやって心配してくれて側にいてくれる母親や祖母が人生の誇りであり自慢だと思った。
悪性だろうがこんなに心強い味方がいるなら怖いものは何も無いなとも思った。
診察室に呼ばれて医師から淡々と結果を告げられる。
その言葉を聞いて安堵の息を漏らした。
家に帰る前に母親に電話して、家に帰ってから祖母に電話した。
母親には『だから言ったじゃん。大丈夫だって。』と言われ、祖母には『本当に良かったね。大丈夫だよ。お参りしたんだから。』と言われた。
22歳にもなってこんなにも嬉しいことはあるんだなと少し涙が出てしまった。
緊張の糸がプツンと切れたんだと思う。
親ぐらいの世代だと毎年か2年に1度は健康診断とか受けていると思うが、今回みたいにガンかどうかみたいな検査をそんなハイペースでしてるなんて、僕だったら心臓がいくつあっても足りないなと思った。
今回は運良く良性だったと思っている。
悪性だった可能性だって決してゼロではない。
そんなことから、使い古されている言葉を書くのも恥ずかしいが、人生はいつ何がどう転がるか分からないなと本当に心の底から感じた。
好きなことを好きなだけして生きていくのも大切。
その瞬間にしか出来ないこと経験できないことをするのも大切。
人と人との出会いは本当に大切。他人だけど他人ではない。
やろうと思ったことは先延ばしにしないで必ずやり遂げる。
人生は一度きりで、いつ終わるを迎えるのか、いつどん底に落ちるのか、いつ有頂天になるのか、誰にも分からないから自分で決めるしかない。
僕のねじ曲がった性格からは一度たりとも思ったことがないこんな台詞が、今は心の底からしっかりと噛みしめることが出来る。
近況報告(2020.04.26現在)
タケキャブ20mgを4週間、タケキャブ10mgを5週間飲んだくらいの今、この記事を書いている。
大好きだった炭酸飲料も胃に刺激になるから一切飲んでいない。
柑橘系もpHが低く刺激になってしまうから食べていない。
お酒はあまり飲む方ではないが一切飲んでいない。
食っちゃ寝を繰り返すことが楽しみだったが、食べた後は3時間横にならないことを心がけている。
辛い食べ物もインドカレーが大好物だけど食べていない。
我慢の連続だがもう二度と苦しい思いをしたくないから我慢できる。それくらい苦しい経験だった。
刹那主義だけど内視鏡検査は二度としたくない思いが勝る。
薬を飲み始めた頃は、腫瘍の画像を見てしまったのもあるが、食べ物を飲み込むときに胃の入り口がズキンと痛む感覚があった。
今は胃の熱さや痛みを感じることはあまりなくなった。
たまに寝る前に少し熱くなる程度になった。
消化器内科の門前で薬局実習をしていて、胃潰瘍になった患者さんがタケキャブにしてからとにかく調子が良いと仰っていたのも納得の効き目だと感じた。
タケキャブ(ボノプラザン)のちゃんとした薬理作用は覚えていない…PPIとはちょっと異なっていたはず…プロトンポンプ自身を阻害するんじゃなくてシグナルが結合するのを阻害するんだか何だか…
薬をこんな長期間飲んだのは成人してからは初めてで、1日1回の薬ですら1度だけ飲み忘れてしまった。
それなのによくも薬局実習では糖尿病の薬を何種類も飲んでる患者さんに、飲み忘れはないか聞いたり習慣化することが大事だとかよく言えたもんだな。
自分が出来ていないことを患者さんに押しつけるほど、横暴なことはないなと身を持って学ぶことができた。
人は日々の色々なことから学びや発見を得ていくが、そこに自分が何を感じて何を考えたか、そこからどういう過程を踏んでどんな結論に至ったか、ここまで達したときに初めて成長することができると改めて感じた。
関連記事